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今後の同人活動について

ブログをあまり書かなくなってしまいました。お久しぶりです、真北理奈です。えー、堅苦しい話にはなりますが、同人活動についてです。
前置きではありますが、やめる話ではありません。製本大好きなので!

今後の同人活動について
今まで何度となく『福岡文学フリマ』『福岡Ade』に行く話をし、隣接サークルしようなどの話を持ちかけ、その度に無くなってしまいました。もし、楽しみにして下さる方がいましたら申し訳ありません。
私としても誰かと隣接してサークル参加というのは大変憧れており、やりたい気持ちに変わりはありません。
しかし、今私がやろうとしている事は、私自身の状況だけでなく、私の人生を揺るがすほどの大事件を起こしていることを今回ブログでお話します。

実は、今は非正規雇用として働いております。最初は長くいるつもりはなく、身体のリハビリとして雇って貰った場所でした。
しかし、この職場が非常によくて活気もあり、収入を上げたいと思い、ほんの軽い気持ちで「正社員になりたいなあ」と打診しました。本当に軽い気持ちでした。
しかし、正社員になるために必要な技能などの書類を手渡されて呆然としました。
部下の指導、シフトチェック、売上予想、発注……全て上層部がやるような作業だったのです。私が学んでいる事はこの中の僅か1割くらいの話でした。
そこから漸く意識を正社員に持っていきましたが、SPIとは?適性検査とは?みたいな感じで本当にてんてこ舞いでした。
正直何度も泣きました。実際に泣きつきました。癇癪も起こし、時にはお叱りを受け、感情をぶつけ……地獄のような日々でした。
一年かけて対策打つものを1ヶ月でやろうとしてますもんね。これまで幾度となく体調不良で倒れては早退切符を切る。こんな人間が正社員では無理があると絶望感でいっぱいでした。
結果はやはり不採用……当たり前だと思いましたが、続きがあります。
「もう一度、業務を見直し、新たに取得し、再挑戦してみて欲しい」と。
「前向きで堂々と面接に臨んでいるのは見事だった。不利な事情もあるのにそれを全て跳ね返すくらいの勢いだった」と。
本当に嬉しかった。結果は残念な事になりましたが、もう一度チャンスを頂けるなんて夢のようでした。今までの地獄のような日々はこの為にあったのではないか、と。
今も1日単位で私の状況は変わっています。上司は昇進し、私の周りにいた非正規雇用の方が正社員になりました。新人さんもいます。
人が減ったり増えたり……今まで良くも悪くも固定職であった私には考えられない世界が広がっています。
もし、正社員になれたらますます激流の中を飛び込むのだろうと思うと恐怖と好奇心でいっぱいです。転勤もありますし。
サービス業なので土日祝の休みは基本ありません。さあ、どうするか。
今まで私は報連相が苦手な節がありました。だから企画を立てる時に報連相が必要の無いよう環境を整えたりとかしていました。
そうではなく、相談しやすい様環境を整えていく。その為には自分が発信していく。これが一番だなと思いました。もし、正社員になれば私の異動は確定なのですが、何でも発信できるタフさとか、そういうものを身につけるために頑張りたいと思いました。今はその練習をさせていただいているのだろうと思っています。

私の不徳の致すところではありますが、私の作品や新刊を楽しみにして下さる方のために、今できることをしようと思っています。晴れて正社員になりましたら、自分を待っている方がいる福岡でサークル参加をします。
もし、お会いする機会がありましたらどうか私の本や本を作る技術が向上したなあと暖かく見守ってくだされば幸いです。そんなにこだわれませんが、心を込めた新刊を携えてお待ちしております。

よろしくお願い致します!
追記です。今までの思いをちょっと書いてみようと思います。

四国アンソロジーの愛媛の話は『わたし』と『母』の学生時代最後のお話でした。
医療福祉分野での実習は過酷を極めました。無意味としか言えない手書きのレポート……無給なのに労働と同じような条件下で出来を評価する……。
帰りの駅でふと、頭が真っ白になって線路をじっと見つめてました。ここから飛び降りたら死ねるかな、と。
でも、こんなことで負けたくなかった。私の価値を誰かに決められて堪るかと怒りに支配された。それだけが私を支えていました。
介護を実際にやり、最初の職場でもそんな怒りに支配されたのかもしれない。結局、最初の職場は最短1ヶ月でやめました。
次は最終実習先。一番過酷な実習でした。
寝たきりの方の移乗は人手が足りないから一人でやる。移乗は一人、夜勤も一人。トイレ誘導も一人、入浴介助も基本は一人。悪く言えば利用者を物のように扱うような感じだった。
しかし、皮肉にも介護の面白さや不条理さ、サービス業を好きになったのはこの職場でした。
移乗を身につけるにはとにかく数こなすしかない。
移乗を初めて一人で経験した私にあてがわれたのは「立位機能はあるが一人では立てない、介助を要する人、あまりうまく喋れない」人でした。
この人を使って30分間練習するとか。初めの職場の方が聞いたら「人は道具じゃない」とか言い出しそう。
私もそんな意識があり、できなかったんですが、「練習お願いしてもいいですか?」って聞いたらその人がふんわり笑ってくれたんですね。
それからもその人についてトイレ移乗とか食介とかして、気がついたらなんか全部出来てました。予想外なことが起きても「この人がいるからいいかあ」みたいな。
人目もはばからずその人に抱きついたり頬ずりしたり頬をなでなでしたりしていた気がする。普通はいやがられるんですが、だんだんその人が私の髪の毛撫でたりとかしてくれたなあ。
あとは手を握ったらぎゅって握り返してくれてそのまま手にめっちゃキスされた←
ずっとその人のそばにいたかった。あれが幸せだった。その人の身体が衰えていくことが辛かった。
私が身体を壊したのがきっかけでその人のそばにはいられなくなった。それでも口実を見つけてはその人に会いに行き、自分の業務が圧迫するのも厭わずいちゃついた。
とうとう、私は介護福祉士としてやってはならない最大のミスを犯し、退職を余儀なくされた。
でも、今になって思えば最大のミスを犯し、殆どの確率で私は業務過失で前科者になっていたんです。理由はあれど業務過失致死傷は避けられなかった。もしくは危険致死。それが退職で事なきを得た。
最後の日にみんなに挨拶を済ませ、帰ろうとして、ふと、気がついたんです。その後、なんか切羽詰って。
走り出してやって来たのは、その人の部屋でした。
その人は体調不良で様子観察になっていて、まあ時間的には起きていたのだろうと思ったらその人は苦しげに寝ていた。
「大丈夫?」って私が言ったらその人は急に目を開けて頷きました。で、いつものようにまあ頬ずりしたり髪を撫で回したりしてたんですが、ちゃんと言わないとと思ったんです。
「ごめんね。今日で終わりなの。別のとこへ行くんだよ」と。そうしたらその人は顔を強ばらせてたんです。どうしてかはわからず私はとりあえず。
「今までありがとう。本当にありがとう。嬉しかった。どうか、これからも長生きしてください」
単なる別れの言葉でしたが、気づいたら万感の思いを込めて言ってました。その人は何も言わなかったからこれ以上邪魔をしてはいけないと部屋を出ようとした時です。

「真北さん、今までありがとうなあ……」

重度の認知症、明朗に喋れない、辛うじて意思疎通はできる。人の手がなければ生きられない。そんな状態の人でした。
でも振り返ったらその人は自分で起き上がってベッドに座ってこんな事を言いました。私の名前を一言一句間違えずに言ったんです。
ほかの人に私のことを問われても一切答えなかった。それどころか私のことを覚えていなかった素振りを見せたその人がこんな時に私の名前を呼ぶなんて。
これが愛だと知りました。間違いない、この人が自分の生命力と引換に私を救ってくれたのだと。一月から急にその人の状態が落ちた事は知っていた。私は12月に犯罪者になるかもしれないミスを犯した。
でも、実際は退職だけで済んだのです。確かに一時的には困ります。でも犯罪者になれば前科がつく。確かに執行猶予にはなるが日の目を見る道で生きられる可能性は無しに等しかった。
この職場にいたのは一年半。そしてお世辞にも良い職場環境ではなかった。でも、その人のおかげで人と接する喜びも愛情も、変わることの不条理さも生きる意味も学びました。私を変える人でした。間違いなく、私はその人を全力で愛したと思う。今思えば単なる介護者と利用者ではなかった。皆が「あんたがいなくなったらあの人はどうするん」って先輩が言った意味を今になって知ってしまうとは。
そして、その人の深すぎる愛に私は救われた。移乗訓練もトイレ誘導も全てその人が実験台になってくれていた。普通なら嫌がるのに全部引き受けてくれて。
あの深い愛に私は応えられなかった。知ろうともしなかった。私は欲深かった。名誉や地位を欲してしまった。認められないことに腹を立てた。見返りを求めた。
だからあんな過ちを犯し、体を壊したと。愛を無碍に扱った私への罰だと思った。
ずっとあの人を介護しなければなんて思っていたがそんなの烏滸がましい。私が、あの人に守られていた。あの人に守られて生きてきた一年半だった。
その後その人がどうなったかは聞けませんでした。でもいきなり体調不良になってずっと朦朧としているあの状態、私には何となくわかる。もう、長くないのだろう、と。長生きはするかもしれないが多分状態はずっと下がり続けるかある日突然帰らぬ人になるか。もう、笑ってもくれないしましてや一人介助ではトイレ誘導もできないんじゃないかと。なんかそんな気がしました。
私に言ってくれた言葉が、私を見た時が、あの人が私にできる最後のはなむけだったのだろうなあ、と。

あの人の思いが今も私の中に生きている。だから、こうして私に良くしてくれる人がいるのだろうと実感しています。
今も元気にしていればそれで十分ですし、残念ながら帰らぬ人になったなら悲しいことですが、なんか、今を知る必要も特にないな、と。
未練がましく前の職場にしがみついて新しい職場に馴染めない私を、あの人は見たくないと思うので。
だから、今出来る事はあの人の愛に応えること。自分を良くしてくれるひとになにかできないか考えること。それだけだなあと思いました。雑感です。
  • 2017.07.17 Monday
  • 23:40

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  • 2018.06.01 Friday
  • 23:40
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